大きいことはいいことか?

♪大きいことはいいことだ~♪

というチョコレートのテレビコマーシャルがあった。昭和の高度成長期のことである。いや今回は板チョコの話ではない。大きい家や車の話でもない。いや家の話ではあるが大邸宅という意味ではない。

「自然の安らぎに寄り添う1000世帯の絆」

などどいうキャッチフレーズで超大型の新築マンションが売り出される。建物はお城のように大きく託児施設やカルチャースクール、アスレチックジムや温水プールまで完備されている。誰もが「凄ーい!」と言い「お高いんでしょう?」なんて質問する人もいる。
1000戸もあれば当然建物も敷地も広大だ。芝生が敷き詰められた広場に公園と遊具。そこに25階建てのタワー棟などあれば購入希望者の心は鷲掴みだ。

学生から社会人になる時、就職する会社を探すときにも同じような感覚になったことがある。都心の高層ビルに広大なエントランスロビー。綺麗なお姉さんが笑顔で出迎えてくれるレセプション。建物を見ただけで「素晴らしい会社だ!入社したい!」なんて思う若者も多いのではないだろうか。

建物の豪華さや洗練されたデザインと会社の中身は必ずしも一致しない。一致しないがそこに就職すればお洒落でスマートなオフィスライフが送れるような錯覚に陥る。実際にそれが目的で分不相応な豪華な物件にオフィスを構える企業もある。それで実際に自分が思い描いていたような仕事や生活の充実考えられるのであればそれは幸せだ。
しかし入社した社員にとってエントランスロビーは単なる通路でしかなく綺麗なお姉さんは自分が勤めている会社の社員でもない。お洒落なカフェテラスも毎日食べていれば飽きてくる。

新築の大型マンションに引っ越した次の日、あなたは朝から驚きの事実に直面することになる。出勤するために部屋の玄関を出てエレベーターホールに向かう。あたりにはまだ真新しい建材の香りが残っている。清々しい気分でエレベーターのボタンを押す。5分が経つ。エレベーターはまだやって来ない。7分後にようやくやって来たエレベーターには既に大勢のサラリーマン風がぎっしりと乗っている。そして自分が乗り込もうとしたその瞬間、エレベーターは無情にもこう告げる。

「満員です。最後の方は降りてください」

仕方がないので今度は上層階行きのエレベータに乗る。最上階まで行って折り返してくるわけだ。乗ったエレベーターは途中階に止まることもなく25階に到着する。それから15分、各駅停車のように各階に止まりながらある時は途中階から乗り込もうとする人に、先程自分が告げられたように乗り込むことを拒否しながら1階にたどり着いた。既に自宅の玄関を出てから30分が過ぎようとしている。

マンション近くに新しくできたというバス停にはスーツ姿のサラリーマン風が長蛇の列を作っている。新しく開設されたバス路線なので20分に1本しか走っていないのだ。しかもバス停の行列を見ると次のバスには乗り切れそうもない。さすがに遅刻する危険を感じて最寄りの駅まで30分を歩くことにした。

最寄り駅は主要幹線が通っているだけあって5分に1本の割で電車が走っている。しかし駅は押し寄せる人波に比べて狭くホームに降りることもできない。無理もない。あのマンションができるまでは乗降客も少ないローカルな駅だったのだから。やっと電車に乗り込んでから1時間、つり革に揺られながら都心の最寄り駅に着いたときには家を出てから2時間が過ぎていた。

マンションでもオフィスビルでも日本人は大きいものが大好きだ。建物が大きいだけで頑丈で豪華に感じる。たとえ就職した会社は小さくて従業員も少なくオフィス自体は大して大きくなくても、大きな新しいビルディングに入っていれば凄いと思うしそこに勤めている自分も優秀で大きな人間だと感じられる。それでいいのだ。それこそが自分の目指してきたものなのだから。

マンションも自分の買った部屋は小さくても建物全体が大きなマンションのほうが嬉しいと思う。他の人からは「凄いとこに住んでるんだね~」と羨望の眼差しで見られる。アンタたちにはできないことをオレはやってるんだという満足感は大きい。
10世帯のマンションよりも500世帯のマンションのほうがいいと思う。500世帯よりも1000世帯の方が素晴らしいと思う。自分の住んでいる部屋の大きさは変わらなくても、である。

しかし残念なことに全体が巨大になればそれに伴う不都合も大きい。先程のように朝にエレベーターもバスも駅も子供の保育園もスーパーもすべてが混雑だ。マンションを買うときには「いつでも自由に使えます」という触れ込みのフィットネスジムもプールも、共同で使える施設はいつも混んでいるので予約さえ取れない。大規模開発された新興住宅地も同じことだ。基本的に共用部分は全部の戸数で使用権が均等割りされるのだから仕方がない。
そして一気に入居した人たちは毎年同じように年令を重ねて同時に歳をとっていく。

日本が高度成長期だった頃、東京の多摩や板橋に作られた大規模ニュータウンは最近になってその問題がマスコミでも注目されている。ボクの実家も半世紀前に開発されたかつての新興住宅地にあるが、ご近所さんは皆高齢化し世代交代も進まず空き家が増えている。自治体も人口減少対策でいろいろな施策を打っているようだが抜本的な解決策はまだ見つかっていない。この先、私たちが人生の終焉を迎える頃にこの日本がどうなっているのか想像もつかないが、若い世代がそのことを考えることはない。なぜなら彼らは若いのである。

それでも日本人は大きなビルディングが大好きだ。
そこに夢と希望を求めているのだから。