「あなた」に語りかけなければ人は動かない

ある日、ボクが仕事で新橋駅西口の改札を出てSL広場を歩いて横切っていたときのこと、突然の強烈な胸の痛みに襲われました。まるで心臓を握りつぶされたかのような痛み。もしかしたら自分の心臓に大きなトラブルが起きているのかもしれない…。広場の中央にしゃがみこんで痛みに耐えようとしますが、この痛さは尋常ではありません。何とか視線を上げると、私の周りには何人かの人が立ち止まって不思議そうにこちらを見ています。「お、お願いです、救急車を…」辺りの人は何となく視線を外らしたり、連れ合いの人と顔を見合わせて困ったような表情を見せます。

「誰か、救急車を…」

しかし…

日本人は親切な国民ということで海外からの観光客からもそれなりに評価をいただいてますし、困っている人を見たら自分から進んで手を差し伸べるって言うじゃないですか? なのに、あの時私の周りに集まった人たちは直ぐに救急車を呼ぶことすらしてくれませんでした。なぜ?

何がいけなかったのでしょう? 恐らく…
私が「(誰でもいい)誰か」に向かって呼びかけたのがいけなかったのです。周りにいた人には「誰か」は自分ではない他の誰かだと思ったはずです。

「きっともう”誰か”が救急車を呼んでいるに違いない」(だから自分はやらなくてもいい)
「きっと医療知識のある”誰か”が適切な措置をしてくれるはずだ」(だから自分はやる必要がない)
 ・・・

誰もが”誰か”が自分に向けられたものだとは思わなかったのでしょう。

人は自分の事にはとりわけ興味を持って真剣になります。言い方は悪いですけど「自分がいちばん愛おしいし大切」なんですね。”他の誰かと一緒に写った”集合写真を見せられた時に、まず最初に探すのは誰ですか? やっぱり「自分」じゃないですか? 自分に向けられたものには素早く強く反応するのは、たぶん本能に近いものです。

冒頭の物語に戻ります。ボクはどこかの病院らしきベッドの上で目を覚ましました。周りの雰囲気から病院の集中治療室に運ばれたようです。誰かが救急車を呼んでくれたのでしょう。ボクはしばらくして一般病棟に移されました。そこで落ち着いて考えてみました。

あの時、ボクは何と言えば良かったのか?
たぶん「そこの青い服を着たあなた、お願いです。救急車を呼んでください!」と。青い服を着た人が周囲に1人だけならその人はメッセージが自分に向けられたのだと気づいてすぐに救急車を呼ぶために行動したでしょう。でもボクにはそれが出来なかった。
以下は病室の看護師さんから聞いた話です。

「救急隊員の人が話してましたよ。駅前で倒れてるあなたを見て通りがかったおばあちゃんがおせっかいと思いながらも、救急車を呼んでくれて病院まで付き添ってくれたそうよ。そのおばあちゃんも昨年、急な心臓麻痺でお孫さんを亡くされたらしいわ」

この話はもちろんフィクションですが、誰もがこんな突然の危機に遭わないとも限りません。人は自分に向けられたメッセージにはすぐに強く反応します。けれど、”誰か”に向けられたメッセージには見向きもしてくれないのです。だって”自分以外の誰か”へのメッセージだと思っているんですから。