知らないものは見えない

伊豆半島の海ではダイビングでも勝手潜りをしているのでガイドさんをお願いすることはない。でもたまに沖縄や海外などに行くときは勝手がわからないのでガイドさんをお願いする。ガイドさんを頼んだ時は基本的にガイドさんの後を付いていくので海の中で迷子になることはない。
南の島の海には伊豆半島にいないような生き物もたくさん見ることができる。たくさん見ることはできるのだが実はあまり良く見えていないことが多い。それは老眼のせいではない。その生き物を知らないせいだ。

ボクが行く沖縄の海でいつもガイドをお願いするのは海の生物や環境にやたら詳しいオジサンである。沖縄の海にはかれこれ20年ほど通っているが年に1~2回なので海の中のことはほとんどわからない。いや最初の頃よりは多少詳しくなったかも知れないが現地人とは比ぶるべくもない。それでなくても何千種という生き物のいる海である。
最初の頃は海の中でガイドさんに”オイデオイデ”をされて近くまで見に行っても何を見せられているのかわからないことが多かった。ライトを当てて細い棒の先で指し示されているにもかかわらずだ。後で聞いたら小さなエビだという。図鑑で調べるとボクが今まで見たことのない小さなエビだった。翌日もガイドさんは別の場所でまた何かを指している。今度はすぐに分かった。昨日はまったく気づけなかった同じエビである。知っていれば知識があれば見方が変わるのだ。

国内でも初めての旅行先に観光に行く時には最初に博物館に行くという話を先日書いた。
博物館は知識をインプットするところである。その土地の文化、歴史、地形、民族、言葉、名産品などを知ることでそれらの繋がりを知ることができる。例えば洞窟の中にお宮があったとしよう。知らずに通り過ぎれば「古びたお宮だな」としか思わないかも知れない。しかしそれがかつて剣豪の宮本武蔵が晩年に籠もって「五輪書(ごりんのしょ)」を書いた洞窟だったことを知っていれば当時の武蔵の心境に思いを至らすことができるかも知れない。それはただ単に知っていたかいないかの違いだけだ。

知らないものや知らないことは仮に目に入っていたとしても気づきもしない。気付かないものは観察もできないし考えを至らすこともできないから、事実を目の当たりにしていてもただただボーっとしているだけだ。なんともこれはモッタイナイことである。いずれにしても知識の引き出しを増やして必要な時にはいつでも取り出せるようにしておくことは大切だ。そのためには頭の中の知識にインデックス(索引)を付けてデータベース化しておくことも重要である。何かがあった時、何かが頭の中にインプットされた時にそれに関連した情報を紐づけておくのだ。
ただそれは辞書や図鑑に載っているような情報だけとは限らない。自分が”いつ見たのか”や”どこで見たのか”、”誰と見たのか”、”何と一緒に見たのか”、”その時自分はどう感じたのか”などは情報の引き出しにつけておくインデックスとして強力な威力を発揮することが多い。

例えば万葉集で有名な額田王(ぬかだのおおきみ)という歌人がいる。和歌に興味があるだけなら「額田王=万葉集」だけだ。しかし実はこの人は645年に乙巳の変で蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し大化の改新を行なった中大兄皇子(後の天智天皇)の奥さんである。和歌好きと歴史好きでは紐づくインデックスも違ってくる。

データベースという単語は今ではあちこちで耳にすることがあると思う。ボクは20代の頃、まだ日本のコンピュータ社会では歩き初めたばかりの子供のようだったデータベースというものに出会いそれからは30年以上に渉ってデータベースを利用して仕事をしたりシステムを開発したりしてきた。だからボクの頭の中は常にデータベース的に考えてしまうようになった。これからもっと素晴らしい技術が出てきて「データベースなど時代遅れだ」といわれる時代が来ても頭の中はデータベースのように動いてしまうのだろうと思う。

データベースではデータにインデックスを付けるということも大切だがそれと対を成すのは”データを検索する”ということだ。いくらたくさんのデータを蓄えてインデックスを付けても肝心な時にデータを探し出せなければ意味がない。蓄えたデータは探し出して活用することで初めて役に立つ。そのためには検索に引っかかりやすいインデックスを付けることも大切だ。しかしこれは意外に難しいのである。なぜなら検索する人の意図や専門分野、思考の傾向によって検索ワードは大きく異なってくる。ネット検索をする際の検索ワードのことを思い浮かべてもらうとわかりやすいかも知れない。
だからデータに付けるインデックスは必ずしも1つでなくてもいい。いや多くの視点から見た様々な分野のインデックスが付いていたほうがデータも広く活用できるわけだ。しかしそれを満たそうとすればデータベースは自ずと巨大になっていく。実はここにも大きな問題が潜んでいる。

実際の現実データは常に変化している。だからそのデータを保存しているデータベースも常に最新の状態に保っておく必要がある。それを行うのがデータベースのメンテナンス(更新)作業だ。
データには新しく追加されるものもあれば消えていくものもある。変化するものもあれば分列・合体するものもある。しかしそれらのメンテナンスを自動で行うことはできない。現実の世界にあるデータを人間が探し出してデータベースに記録されているデータと比較した上で、最新で正しいのはどちらなのかを判断しなければならない。残念ながら今の実用化されているAIはそこまで追いついていない。巨大化したデータベースのメンテナンスには膨大な労力と時間がかかる。そうなると自然にメンテナンスは疎かになり古くて使い物にならないデータベースの廃墟が残されていく。

人間の頭の中も同じである。常に最新の知識に置き換える作業を怠らないようにして活きた知識を保っておくことが大切だ。そうすることで現実世界で見たものと記憶している知識が合致して知っているものが見えてくるのだ。知識が古くなってしまえば今見ているものと記憶している知識が一致せずに”知らないもの”として認識してしまうかも知れない。できることならそうしたデータの変遷まで記憶して管理することができれば世界はもっと広がるのだろうがボクの頭のキャパシティには収まりきれないデータ量になってしまう。諦めきれないところだがこればかりはなかなか難しいのである。