ベクトルって何ですか?

「ベクトル」という言葉をご存知だろうか。「彼と私はベクトルが一致している」とか「その解決策はベクトルが間違っている」などという使い方もするが、元は数学や物理学の用語である。ベクトルは単なる数値とは違って簡単に言えば方向と大きさをもったデータである。矢印などを想像してもらうとわかりやすいかも知れない。矢印はそれ自身が”方向”を示していると同時にその長さでその”大きさ”も表していると考えることができる。
ベクトルに対する単語は「スカラー」であり単なる数値を表す。単なる数値といえばいわゆる”大きさ”を表すことが多い。例えば”体重”はスカラー値である。なぜなら体重には方向がないからだ。一方で”速度”はベクトル値だ。例えば車が走る”速度”には方向と速さがある。ベクトルの特徴は”どこを向いているか”を表現できることだ。

先日、”報告”は数字を情報でサンドイッチするとわかりやすい、ということを書いた。さてこの”報告”はベクトル値だろうかスカラー値だろうか。
もう皆さんお察しの通り”報告”はベクトルである。今日はその訳を考えてみよう。

”報告”の目的はなんだろう。報告することによってどんな目的が達成されればいいのだろうか。
報告は自分が知らない現状を知るためのものである。報告によって自分が直接携わっていないことの現状を知って何かに役立てようとする時に受け取るものだ。逆に報告する方にとってみれば、相手が知らない情報を伝えて共有することで相手の考えやアイデアを引き出して今後の自分の活動に役立てていくということも考えられる。
報告は、一方通行ではその意義の半分しか達成できない。報告を受けることで自分の知らない現状を知り、報告したことへのリプライから次の自分の行動のベクトルを決定することができるわけだ。そしていちばん大切なことは報告を受けたり報告したりした内容が起こすことの意味をお互いが考えることである。

「報告しました」「はい報告を聞きました」では幼稚園生と同じだ。インプットされた情報から何を考えどういうベクトルで行動すべきかを考えて議論することが大切だ。
議論すれば多様な意見も出るだろう。以前にもちょっと書いたが多様な意見を引き出せない議論ならやる意味はない。多くの大企業の会議室で行われている会議もそのほとんどが必要のない会議であり時間のムダである。会議の参加者は誰も意見を出そうとしないし他の意見を聞こうとしない。結論は最初から決まっており会議はそれを正当化するための手続きでしかない。だから最初から決まっていた結論と、また次の無意味な会議の開催日程だけが決まるのである。見方によっては次の会議の日程だけが議論されるわけだ。

報告の場合、受け取る内容によってはスカラー値だけのこともある。データの方向が固定的に定まっているものや以前に方向に関する報告を受けている場合である。方向が変わっていなければ大きさの変化だけを知ればいいからスカラー値の報告になる。しかしスカラー値の変化は方向が変化する前兆現象になることがある。車がカーブの手前でブレーキを踏んで減速するように、いや空に向かって投げ上げたボールがやがて上向きの速さを失い放物線を描いて地上に落ちてくるように…。
スカラー値を見る時にはやがて起こるであろう方向の変化に思いを至らせる必要がある。野球でピッチャーが投げたフォークボールも卓球でスマッシュしたドライブも、速さが衰えるに従ってその方向の変化量は加速度的に大きくなる。ここでの変化を見落とすことが致命的な結果になることを経験された方は多いと思う。

例えば日本の人口変化などもその一つだろう。40年前にほんの少し鈍化した人口の伸びは今では人口減少という状態に変化している。あの頃には伸びていたものが今は減少に転じてしまったわけだ。そしてその変化は生まれた子供の数で一意的に決まる。生まれる子供の数が減れば間違いなく人口は減る。そしてより若く健康な世代に頼っている年金や健康保険が立ち行かなくなることも40年前には十分予見できたし、当時小学生だったボクでさえ学校の作文に書いたほどだ。それは家で買ってもらった図鑑の一つに年齢別人口分布のグラフを見つけたことで小学生だったボクにも気づけた。そのグラフはやがて学校の教科書でも目にすることになる。しかし当時のオトナたちはその”報告”がもたらすであろう未来についてのベクトルを僕らに示すことをしなかった。人口減少と少子高齢化、年金や社会保険の破綻はずっと前から分かっていたことなのに、である。

かくのごとく”報告”は大切なことだ。そして報告はできることならベクトルとして行うことが望ましい。しかしそれが出来なくても報告するものとそれを受けるものが真剣に議論することで、その中に内包されている問題や可能性を推し量り対応していくことが可能なのだ。

ボケっと聞いているだけの会議ならいらない。与えられたデータから読み取れるすべてについてみんなでその意味を考え議論していこうではないか。