日本の子供が歴史を習わされる理由

子供の頃から暗記が嫌いだった。漢字、歴史の年号、英単語、元素周期律表、数学や物理の公式、円周率、平方根、小説家の名前と作品名、etc。
意味もないものなんてそうそう覚えられるものではない。そもそも平方根なんて小数点以下2桁くらいまでわかっていれば今でも実用では問題ないのにテストでは10桁くらいまで覚えさせられた。漢字は、まぁ仕方がないだろう。今のところ一番役に立っているかも知れないが平方根など今では(いや当時から)電卓でちょちょいのちょいである。周期律表も語呂合わせで覚えたが使わないのでほとんど忘れてしまった。実は高校生になってわかったのだが周期律表を丸覚えすることにはほとんど意味はなく、物質の特性が似通っている縦の列を知っておくほうが実際の生活にも役立つことが多いのだ。
1年(地球の公転周期)は365.242195日である。だからほぼ4年に1回うるう年がやって来て1日分を調整する。これだけは中学生の頃、予備校の夏期講習かなんかで覚えさせられたのをいまだに覚えているが、その後取り立てて役に立った記憶はない。

同じように日本の学校で習わされる歴史はほとんどが出来事の名前と年号だけだ。645年は「大化の改新」である。大化の改新の何たるかは知らなくても645年は大化の改新なのである。テストにもそれしか出ない。ところがお察しの通り大化の改新は一連の”政治改革”である。当然政治改革が1年で終わるはずもなくその後も続いたとされるが、実際のところはどうだったのかボクにはわからない。
645年に大化の改新が始まるきっかけとなったのは中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺した「乙巳の変(いっしのへん)」だと言われている。が、そんな断片的な場面だけを聞かされても面白くも何ともないのである。彼らはなぜ蘇我入鹿を殺さなければいけなかったのか。そもそも蘇我入鹿はどんな人でどんな人生を送った人だったのかなど、周辺の事情がわからずに殺人事件の年号と事件名を覚えさせることに何の意味があるのか。しかしそれが当時の歴史の授業だった。

国語の授業で苦手だったのは「その時に主人公が思ったこと」を答えさせる授業だった。ほとんどの場合、ボクの答えは先生の答えと相容れなかった。つまりテストでバツ(ペケ)がつくわけだ。ボクはバツのついた答案用紙を持って何度も職員室に乗り込んだ。「主人公はこう思ったんです!」と言っても先生は「それは違う」と言う。「じゃあそれは主人公に聞いたんですか?」と言うと「聞いたんだ」という。ウソつけ!と思った。それから国語の授業を真面目に聞くことはなくなった。意味がないからだ。しかし漢字の書き取りだけは言い訳ができないので苦い薬を飲むように我慢して暗記した。

文学作品も著者と作品名を覚えさせられた。夏目漱石の「心」、三部作といえば「青春」「それから」「門」、太宰治の「人間失格」、井伏鱒二の「山椒魚」や太宰の「走れメロス」は教科書に中にも一部が引用されていたかも知れない。それにしても小説の一部だけを抜き出して鑑賞することに何の意味があったのかは未だに謎だ。森鴎外は…、その後いくつかの小説を読んだが題名が思い出せない。それくらいボクにとっては印象が薄い人だったわけだ。

学校の授業では、生徒がその後の人生を有意義に送るためにきっかけを作ってあげることが目的なのだと数10年前に誰かが言っていたのを覚えている。確かにきっかけとなって「読んでみよう」と思った本がまったくないわけではない。しかしボクが読んだ本のほとんどは、どこかの雑誌や新聞記事がきっかけだったりその時に読んだエッセイに載っていたものだった。なぜだかボクの勉強机の奥にあった戸棚(机があって扉も開かなかった)の中から見つけた世界文学全集でトルストイやドストエフスキー、モンテーニュ、モンテスキュー、パスカルなどを引っ張り出してきては読んでいた時期もあった。しかしそれらが学校の授業で取り上げられることもなかったしそれらについて先生と議論することもなかった。

しかしあとになって自分が興味を持ったときには”あの頃”は拷問のように思っていた”勉強”がもはや勉強ではなくなる。おそらく皆さんもそう感じたことがあったのではないだろうか。テストのためだと思うとそれ自体に興味もなければテストが終わった途端に忘れてしまう。でも「〇〇のため」ではなく「面白いから」「好きだから」覚えたことはそうそう忘れたりはしないのではないだろうか。それは覚えたことが更にその先の面白さを教えてくれたり自分の世界を広げてくれることを知っているからなのだと思う。自分の好きな世界がどんどんと広がってゆく興奮は自分の人生を豊かにしてくれる原動力ではないかと思っている。

”あの頃”は苦痛であんなに苦労して覚えた年号も作品名もスラスラと頭の中に入ってきて定着する様は何なのだろう。あの頃にこんな感覚を持てていれば苦労もせずに済んだのではないかと思うとちょっと人生を損した気分にもなる。いや、今そう思えるのはあの頃に受けた拷問のおかげなのだろうか。

ただ一つ言えるのは、自分自身が”やろう!”と思わない限り何ごとも楽しくないしやる気さえ起きないということだ。「馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない」という諺を身に沁みて感じている。