スタンダードの「白と黒」

以前に勤めていた職場の同僚から、ボクが退職する直前に「実は自分は発達障害だ。今まで迷惑を掛けることもあったが申し訳なかった」と言われたことがある。彼は慶応大学の文学部を卒業している。学生の頃から勉強は出来た人だと思っていたのでちょっとビックリした。確かに彼がプロジェクトマネージャーになるとダンドリが悪く、スケジュールやリソースが混乱することも多かったがそれは他の人にもあることなので深刻に考えたことはなかった。

その後いくつかの発達障害に関する文献を読んでみた。
「発達障害」と聞くと普通に”身体や脳、精神などが未成熟な状態”と考えがちだが実態はそういったものではないらしい。「発達障害」という呼び方が誤解を招いている部分も大きいのではないかと思った。具体的にはASD(自閉症スペクトラム障害)やADHD(注意欠如多動性障害)などに分類されるが、その症状は必ずしもそのどちらかに分類されるものではなく両方が併存していたり発症する割合も様々なのだという。既知の症状とは全く別の症状が現れることもあるらしい。そして専門医であっても確定診断をつけることが困難な場合も多いという。

NHKのあさイチという番組で「発達障害」の特集をしていた。番組の中では視聴者からのFAXが紹介されていて「医者にグレーゾーンと言われたがグレーゾーンでは困る」「白黒はっきりさせて欲しい」というものがあった。気持ちはわからないではない。結論を出してくれないと身の振り方が決められないという気持ちもあるのだろう。特にボクたちのような高度経済成長期に学生時代を過ごし「受験戦争」などと呼ばれて試験に合格するための勉強ばかりをさせられてきた世代にとっては「答えは何なの?」「正解はどれ?」ということを常に求められてきた。だからすべての問題には答えがあり正解はひとつなんだという暗黙の合意が出来上がっている。
しかし”ここまでは健常でここからは発達障害”という明らかな線が引かれているわけではない。何となくこのあたりからは発達障害の兆候があるという程度だ。認知症だって同じだ。役所では行政の線引をするために基準を決めるがそれはあくまで手続き上の基準であって人間を分けるものではない。だが”自分は発達障害なのか”ということを知りたくて多くの人が医療機関に押しかけているという。

東海地震はいつ来るのか?地震が来たら何メートルの津波が来るのか?富士山はいつ噴火するのか?今度の台風は間違いなく東京を直撃するのか?何ミリの雨が降ったら裏山は崩れるのか?
そんな事は誰にもわからない。東日本大震災の後、地震予知連絡会は「地震の予測はできない」という公式見解を発表した。

空を見上げれば何万光年先にある星が何で出来ているかまでわかるような時代である。ところが地面の下のことは数10メートルでもほとんどわからない。先日、大分県で山崩れが起きて犠牲者が出た。宇宙の広さと比べたらほんの限定された狭い範囲の土砂の下に人や家が埋まっていることは確かだ。それでもそれを見つけ出すまでには手探りの作業で何日も掛かっている。地球の中のこともそうだが海の中のこともほとんどわかっていない。それどころか我々自身の体のことさえほとんどわかっていないのだ。

〇〇は体にいい、△△は発がん性があるなどとまことしやかに言われるが、数年後には全く逆の説が唱えられていたりする。もっとも何かのビタミンが圧倒的に体に良くて別の何かの不飽和脂肪酸は圧倒的に体に悪いなどということはない。すべてはバランスだ。いいこともあるが悪いこともある。

世の中のすべてのことが白と黒で色分けできる訳ではない。病気や健康のこともその一つだ。医者にだって当然わからないことはある。というより確かなことなどほとんどない。我々は今分かっていることだけに対処しているに過ぎない。地震学者だからといって地震のことはすべてお見通しなんてことはない。気象予報士だからといって明日の天気を間違いなく分かっている訳ではない。
それでも私たち愚衆は答えを求めてしまうのだ。
絵の具の青と黄を混ぜてみるといい。赤と黄色でもいい。一つは緑色になり一つはオレンジ色になる。だが混ぜる比率を変えていくとやがて”ほとんど青”になったり”ほとんど黄色”になる。どこからが緑なのかどこからを青と呼ぶべきかなんて誰にも決められない。白と黒だって同じだ。たぶんグレーになる。グレーになるが明るいグレーから黒に近いグレーまでの濃淡は無限だ。

ダイビングをしているとベラという魚によく出会う。ベラは卵から生まれた時は多くがメスとして生まれる。しかしやがてその中の一部はオスになる。性転換と呼ばれ魚の世界では珍しいことではない。メスがオスに変わっていくとき「もうここからはオス」という線を引くのも難しいらしい。性転換をするので魚の体も変わっていくがその変化はごく僅かずつである。その身体の機能の変化も僅かずつだ。だからその中間で「ここからはオス」と決めるのは難しい。だからダイバーはよく言う。
「もうオスでしょう」
もうオス、という言い方がボクは好きだ。

白でなければ黒なのか。善でなければ悪なのか。人はそんなに単純なのだろうか。そんなに薄っぺらく安っぽいものなのだろうか。
きっとこの世のすべてのものには限りない濃淡があって、それが様々な人間模様を織りなしているのではないだろうか。そんな世界をボクは素晴らしく奥深いものだと感じている。