難しいことを避けて通る

ドラえもんのポケットから出てくる秘密兵器や超便利グッズでのび太くんは毎日を生き延びている。のび太が無茶な願いや希望を要求するとドラえもんはブツブツ文句を言いながらもポケットから何かを出してくれる。タケコプターやほんやくコンニャクは便利だ。頭に乗せれば空を飛べるしコンニャクを食べればどんな言葉でもペラペラ話せるようになる。
何でも思ったことがすぐ叶う。のび太は何の努力をすることもない。そんな世界では手段と目的を混同することはない。手段が必要ないからだ。直接、目的だけを手に入れることができる。

今までの人生でやりたいことを諦めたことはないだろうか。中にはやりたいと思ったことは全てやり遂げてきたという猛者もいるだろうが”挫折”という経験をされた方も多いことと思う。出来ることなら挫折はしたくないものだ。いくら頑張っても思い通りにならない。どんなに努力しても結果が出ないということはよくある。ボクだって努力したことのすべてで結果が出ていたら今頃はスーパーマンだ。やったことの中で結果が出たものは、正直なところほとんどない。0に限りなく近いと言っても過言ではない。それでも多くの人は今までやったことのない”何か”を始めようとする。

”何か”を始める前に諦めてしまう人がいる。英会話がやりたいと思っても「英語は学生の頃から苦手だったからムリ」とかサーフィンを始めようと思っても「泳げないからムリ」という人はたくさんいる。ダイビングを始めようという人の質問で多いのは「泳げないんですけどダイビングはできますか?」というものだったりする。結論から言えばYES。泳げなくてもダイビングは出来る。なぜなら水の中で息ができる機械を着けて潜るのだから。もっとも泳げないより泳げたほうがいいのは言うまでもない。
それでも「泳げないんですけど…」という質問をする人は少なくとも”やろう”という意志がある。「泳げないからムリ」と最初から諦めてしまう人よりは大きく前に進んでいる。「ムリっす」と言う前にやろうとしている。

やるか、やらないか、だ。
言うまでもないが、やらなければ絶対にできない。やれば出来るかもしれないしできないかもしれない。でも努力次第で出来る可能性は大きくなる。あくまでも可能性だが、大きくなる。

可愛い彼女から「海に行きたい」と誘われていたカナヅチのあなたはある広告を目にする。「この薬を一錠飲むだけですぐに泳げるようになります」という錠剤があったとする。お値段は一錠で10万円だ。しかし効き目は確実。この薬を飲んで泳げるようにならなかった人はいない。効き目は1年間続く。だが夏になるまでにはまだ3ヶ月ある。この3ヶ月を水泳の練習に使って泳げるようになるという方法もある。あなたはどちらを選ぶだろうか。どちらも選ばず彼女から捨てられるという選択でも構わないが…。
水泳の部分をあなたがやりたいと思っていることに入れ替えて考えてみて欲しい。

何かを達成するための努力には辛いこともある。やってもやっても上手くいかないこともある。いやほとんどの場合は上手くいかない。でもちょっとでも前進した時の喜びを知っている人も多い。それでもあなたは手っ取り早く目的を手に入れようとするだろうか。

努力をしなくても夢が実現する世界は本当に楽しいのだろうか。打ちっぱなしで練習しなくてもゴルフが上手くなったり、サッカーをすればいつでもスマートにかっこよくゴールできるようになったらその瞬間は楽しいかもしれない。ボクも夜な夜な郊外の打ちっぱなしでゴルフクラブを振り回していたことがある。始めた頃、7番アイアンの飛距離は70ヤードだった。3番アイアンは60ヤードだった。ドライバーでは40ヤードだった。とにかくボールがクラブに当たらないのだ。お話にならない状態だった。その後何年か打ちっぱなしに通い続けた。段々とクラブなりの順番で飛距離が出るようになってきたが相変わらずドライバーはどんなに振り回しても200ヤードに届かない。

そんなある日、たまたま振ったドライバーから今までにない感触があった。ボールの衝撃を全く感じなかった。打ったボールは250ヤードと書かれた一番奥のネットの一番上までまっすぐに飛んだ。「何これ?」と思ったがそのまま狂ったように打ち続けた。それまでのヘタクソがウソのように打ったボールは立て続けに奥のネットを揺らし続けた。その時、あとから隣の打席に入ったオジサンが「飛ばすね―!凄いねー!」と声を掛けてくれた。今、急に飛び始めたんです、と言ってもそれをうまく説明する自信もなかったので「ありがとうございます」とだけ言った。

そういえばこんな経験を子供の頃にもしたことがあった。中学生の頃、親を拝み倒して初めてフォークギターを買ってもらった。学校のフォーク部の人は既にギターが上手でボクはその中に入れなかった。でもどうしてもギターの弾き語りで女の子にモテたかったボクは家に帰ってから毎日何時間もギターを練習していた。その頃ボクは左手のコードを押さえるのに必死だった。いくつかのコードは押さえられるようになったものの人差し指で全部の弦を押さえる”セーハ”がどうしてもできないでいた。左手の指にいくら力を入れても弦を押さえきれずに音が出ないのだ。セーハはFコードで出てくる。Fコードはいろいろな曲に出てくるのでFが押さえられないと最後まで演奏できる曲が著しく限定される。

来る日も来る日もセーハの練習をしていたが一向に進歩する兆候は見えなかった。もしかして一生できないのかもと思い始めたが、学校では友達が事もなげに弾いている。きっとコツがあるに違いないと思って友だちに聞いてみたが、どうも要領を得ない。友達もどうして出来るようになったのかわからない様子だった。

そんなある日、また学校から帰ってギターを抱えて弾いてみた。なぜか突然にFコードが弾けるようになっていた。力を入れているわけでもないのにボクのギターはクリアな音を響かせた。コツは何だったのか未だにわからない。わからないがそれからは弾けなくなることはなかった。でもなぜだかわからないがゴルフは元のようにヘタクソに戻ってしまった。

何かに熱中して努力して我慢して苦労してやっぱりダメかと思いながらそれでもやり続けてある日突然のように道が開ける。そんな経験がすべての物事に熱中できるきっかけになりモチベーションになるような気がしている。今の時代は何でも苦労せずに手に入れる方法がたくさんある。お金で解決する方法もたくさんある。インターネットもなくYouTube動画もなかった時代に極まれにテレビで放映された番組をビデオテープに撮ってテレビの前にかじりつきながらテープが伸びるまで曲をコピーした日は懐かしい。今はネット動画も普及しているがだからといって簡単に出来ることばかりではない。やはり苦労して努力して我慢しなければ成し遂げられないこともたくさんある。

努力しなくても出来るということは誰にでも簡単にできるということで、努力した者にだけ与えられる優越感がなくなってしまったらつまらなくないだろうか。そしてすぐに飽きてしまわないのだろうか。大きなお世話だとは思うがそういったあの頃をもう一度思い出して熱中してみるのもいいのかもしれない。

そんなボクは少し前から学生時代に熱中していたトランペットを再び吹き始めた。あの頃も決して上手くはなかったが今ではほとんど音すら出なくなっている。それでもある日突然急に道が開ける快感をもう一度味わいたくて毎日少しだけ続けている。どこでもドアの鍵を探し続けるように。