♨を変える必要はあるのか

2020年の東京オリンピックに向けて、いやそれだけのためではないンだろうが、日本ではいろいろな方面で変化が起きている、らしい。先日テレビで話題になっていたのが例の”温泉マーク”だ。古い世代の方々にとっては別の意味もあったようだがボクの世代ではタダの地図記号だ。
この温泉マークが海外からの旅行者にはわかりにくいという。「温かい飲み物に見える」「カフェかと思った」というようなインタビュー映像を流していたが、それってマークのせいなの?
そもそも日本以外ではボクの少ない経験によれば、入浴施設はあまり一般的ではない。公衆浴場も温泉地も見たことはない。インドネシアで湯が湧いている河原で体やダンプカーを洗っている人は見たことがあるが、リゾートの中に温泉プールはあっても温泉マークは書かれていなかった。

風呂や温泉文化は圧倒的に日本独特の文化である。もちろん海外にも温泉が湧いているところはあって療養施設として使われていたりするが、巨大な温水プールの様相で日本の入浴施設とはずいぶんと趣が異なる。
そんな国からやって来る外国人観光客が、今後温泉マークをどんな形に変えたにせよマークを見ただけで日本の入浴施設を想像できるとは考えにくい。古代ローマ人なら想像できるかもしれないが。そもそも日本の温泉を知らなければ簡略化されたマークからイメージできるわけがない。マークやピクトというのは「そもそもがそれ自体を知っている」ことが大前提だ。

海外に日本のような温泉施設や銭湯がないのに、なぜ日本の温泉マークを「ガイジン」が理解しにくいからという理由で変更する必要があるのだろうか。初めて温泉や銭湯に触れるのならばどんなマークでも同じだ。温泉マークを日本の入浴施設として外国人観光客の頭に刷り込めばいいのだ。「これが日本の温泉だ!」と。温泉マークを日本の共同浴場とヒモ付けをすればいいだけの話である。

恐らくマークやピクトを変更しようと言い出した裏にはいくつかの思惑が見て取れる。一つには看板、サインの架替えや新規需要によって地域の経済の活性化に繋げようという考えだ。地方再創の担当国会議員あたりが考えそうなことである。
もう一つは欧米コンプレックスである。ガイジン(西洋人)が「わからない」と言うならすぐに変えなければ日本の恥だ、くらいに考えている議員センセーは掃いて捨てるほどいる。コンプレックスの塊なのである。恥ずかしいと思うならそんなことを言う前に、まず日本人が英語を始めとする外国語を話すように仕向けるべきだろう。

現代のほとんどの日本人が”英語をまったく理解できない”ということは少ない。ともすれば会話の半分以上が外来語になっていたりする日本語である。一部の戦前教育しか受けていないという人を除けば、いやその人達だって日々のテレビから流れる日本語を聞いているだけで相当数の英単語を知っているはずである。もちろん外来語と英語の意味が異なっていたりすることは承知の上で申し上げている。

欧米でもアジアでも、日本語で「コンニチハ」「アリガトウ」の挨拶が言えればみんな「オレは日本語が話せる」と自慢して大きな声で友達に触れ回っている。普通の日本人だって「ハロー」も「ボンジュール」も「ニーハオ」も知っている。「サンキュー」も「メルシー」も「シェシェ」も知っている。話さないだけなのだ。ボクは海外に出てもその土地の言葉はほとんど話せない。話せないが、挨拶といくつかの単語を並べるだけで旅行客に必要な情報はなんとか手にはいる。相手だって東洋人がフランス語やスペイン語をペラペラ話すとは思っていない。

ボクだって日本にやってくる外国人観光客がペラペラと日本語を話せるとは思っていないからカタコトの英単語を並べるだけで話をしようとする。それくらいは日本の義務教育を受けてテレビを見ていれば誰でもできることだ。やろうとしないだけなのだ。駅はステーションだ。タクシーはタクシーだ。道路はロードだ。地下鉄はサブウェイだ。真っ直ぐがストレートで曲がればカーブ、右がライトで左がレフトなのはプロ野球中継でもおなじみである。知らなければ日本語で大きな声で言えばいい。身振り手振りを加えればだいたい通じる。相手だって何とかわかろうとして努力しているのだから。

ここは日本なんだから日本語しか話さない!というのではない。何とかお互いが気持ちよくコミニュケーションできればいいのである。政治家も余計なところで無駄遣いしていないで「困っていそうな外国人を見かけたら恥ずかしがらずに知っている英単語で話しかけてみましょう」というキャンペーンをやったほうが、温泉マークをへんてこりんな形に変えるよりもよほど日本の文化を外国人旅行客に理解してもらえると常々思っている。そしてそれがガイジンにとって日本の文化を深く知れるいいチャンスなのだ。
日本に観光にやってくるガイジンは日本のことをもっと深く知りたいと思っているのだ。そうでなければわざわざ高いお金と時間を使って日本に来るわけがない。我々だって海外旅行に行って日本語の看板ばかりが並ぶ海外の町並みを見たら興ざめするだろう。彼らは東洋の異文化を体験しに来ているのである。彼らに合わせすぎてはいけない。それは逆に彼らをガッカリさせることになる。
日本語混じりのカタコトの英語と日本の温泉マークを誇りに思おうではないか。