一番が大好き病

今年の桜は早かった。昨年と比べても2週間ほど早く満開になった。元来、染井吉野というものは開花から1週間ほどで満開になり旬な時期は数日で終わってしまう桜だ。だからその年の気候によって見頃の時期が早かったり遅かったりして世間の話題にもなる。気象庁あたりは”開花宣言”をしたり”桜前線”なるものを作って見頃の時期の予報までしている。そもそも気象予報を本業とする公務員が桜の開花予想をしたり「気温の変化が激しいので体調管理を…」などと国民の健康まで気遣ってくれるのはありがたいが、”大きなお世話”と思えなくもなかったりするのである。

染井吉野の満開の時期は短いがその瞬間を狙って猫も杓子もが桜だけに殺到する光景は、ややもすると滑稽でもある。
日本人は行列が大好きで、河津の桜が満開だといえば伊豆半島まで出掛け、皇居の桜が満開だと聞けば大行列に並んで恭しくご見物あそばす。福島の桜が、弘前城の桜がと「今年は全国で14ヶ所の桜を見ました」などと自慢げにテレビインタビューに答えておられる方を見るにつけ「(オツムは)大丈夫かね?」などと思ってしまうのは天の邪鬼な性格のせいだけだろうか。

確かに満開の桜は美しいし素晴らしいものだと思う。だが桜は満開のときだけが美しいのだろうか。花が散り若葉が芽吹いてくると季節は春本番になる。山桜はひと足早く真っ白い花と若葉が同時に1本の木を彩る。桜並木も綺麗だが山の新緑のところどころを疎らにピンク色に染める自然の桜も素敵だ。山道を歩きながら広葉樹の隙間を埋めるように咲き誇る山桜のなんと美しいことか。そして山々は夏の息吹を感じさせるように力強い緑に包まれていく。
秋になると針葉樹に追いやられるように片隅にいた広葉樹が茶色になり所々に目立覚めるような紅葉の赤が映える。そして思い出したように吹き上がるイチョウの黄色い葉は五重塔の相輪を彷彿とさせる。冬将軍が山を駆け抜ける頃には葉の落ちきっていない木々の間を薄っすらと雪の白が挿し、薄いグレーの山は冬籠りの支度を始めるのだ。
そんな四季の移ろいも満開の桜や真紅の紅葉と同じくらい魅力的だ。でも人々は満開の桜と真紅の紅葉だけを愛で、それ以外の季節には目を向けようともしない。

桜の木は1年中いつでもそこに立っている。春の新緑のもみじもいつもそこにある。満開の桜だけを、紅葉のもみじだけを見てそれ以外の季節は桜やもみじがあることさえ忘れているというのは何とももったいない。桜は1年中そこに立って生きている。満開の桜だけを見るのは、人のほんの一部分だけを見てその人を評価するようで片手落ちのようにも見える。

どうして人は桜の花が満開じゃないと満足できないのだろうか。いや新緑の桜や冬の落葉した桜とまでは言うまい。7部8部咲きの桜ではどうして満足しないのだろう。
先日、面白い話を聞いた。多くの人は自分が「風邪をひいたかな」と思った時には病院に行くのだそうだ。それも近所の病院ではなく”一流の”病院にかかるのだという。病院の格というものがどこで決まるのかは意見もあるかと思うが、大きな設備の整っている大病院や大学病院に行くのだという。風邪かなと思っただけでも、だ。普段健康な人なら一晩寝ていれば治るような症状でも”一流の”病院に行きたがる。「せっかくなら一番のところが良い」んだそうだ。日本人の病院好きが世界でも有数であることはよく知られている。
とかく人は、いや日本人は一流が好きだ。経済状況が許すなら、一人暮らしでも大きな家に住みたがり、どこに出掛けるわけでもないのに高級外車を欲しがる。本当にそれが必要なのかではなく、取り敢えず”一流”を選ぶことで安心する。

お花見も、有名な公園で気象庁が発表する満開宣言の一瞬を逃さぬように飲み食いすることが大切で、桜の花など見てもいない。桜でもバラでも撫子でも、花と見ると高級なカメラにマクロレンズを付けてそれこそ食いつきそうな勢いで写真を撮る人を見かける。拡大した花も綺麗だが雰囲気を楽しもうとは思わないらしい。大勢が認める有名な場所で誰もが一流と認める有名なものを、誰もが羨むほどたくさん取ることに全身全霊を傾けているように見える。

いいものはいい。だがそれだけがいいのだろうか。本当の良さや美しさを知らないでいて、人の評判や噂だけで自分が美しいと思う感性を押し殺してしまっているのではないかと思う今年の桜の季節だった。