高いものはいいものか?

かつては「高いものはいいもの」であり、高品質で高機能で壊れにくく美味しく高級なものを象徴していた。事実、安物は総じて壊れやすかったし高級品は長持ちした。昭和の時代はそんな価値観が通用していた。
時代は平成になりモノの価値観は多様化した。宝飾品やブランド品は基本的にあまり変わっていないように見える。もっともブランド品に関していえば時々の流行があるので、恒久的な価値を見出すのは難しいかも知れない。
そしてこの10年ほどで一番価値観が変化したものは食品ではないだろうか。

日本各地にブランド牛やブランド豚、ブランド野菜やブランドマグロなどが雨後の筍のように出てきて市場にあふれている。地産地消の掛け声とともに地域発のブランドも一気に増殖した。ボクの住む神奈川県でも「湘南生しらす」や「鎌倉野菜」「相模豚」や「小坪サバ」などの名前で売り出し人気を得ているようだ。もともと単価が低くいくら作っても儲からなかった農家にとって、地域ブランドを名乗るだけで何倍もの値段で買ってもらえるのはありがたいことだと思う。魚にしてもたくさん獲れればそれだけで値崩れしほとんど儲けの出なかったものが、ブランドをつけただけで値崩れしにくくなるのならそれに越したことはない。しかし、しかしだ。

「ブランド」とは信用の証である。
はっきりいってシロウトに品物の細かい違いなどわからない。というと語弊があるが、ほとんどの消費者は微妙な味の違いを認知できない。わかりやすく米でいえば、品種による違いはある程度区別できる。ある程度だ。しかし同じ品種の米の産地ごとの違いを区別できる人がどれだけいるのだろう。そもそも家で米を炊けば、研ぎ方、水加減だけでも米の味わいはまったく変わってしまう。普段の保存状態や季節ごとの気温、湿度にも左右されるだろう。何よりも毎日のおかずが同じではない。品評会でテイスティングするのとは訳が違う。もっとも品評会で食べ比べても、ボクにはその違いをはっきり指摘する自信はない。
だからこそ「ブランド」がものを言う。「このお米は多くの味の専門家が美味しいと認めたお米です」という証だ。いわゆる”お墨付き”というやつだ。だからボクたちは安心して「やっぱりコシヒカリは違うね」とか「つや姫はこのネットリ感が魅力だね」なんて言えるわけだ。裏では「(これはきららだけどね)」なんて笑ってるかも知れないが。

かつて舶来物が幅を利かせていた頃、国産のものに「ブランド」はなかった。メーカーのロゴ・マークが付いていただけである。ナショナルや日立、東芝、サンヨー、SONYなどのメーカーのロゴマークだけがあった。が、それは「ブランド」ではなかった。国産品は安かろう悪かろうと言われた時代である。今の中国製品のような扱いだった。もちろん海外でも日本製品は「すぐに壊れる安物」でしかなかった。
高度経済成長を経て日本人はたゆまぬ努力で「安物」「すぐに壊れる」という日本製品のイメージを「安くても優れた製品」というイメージに塗り替えていった。そしてその努力の結果残ったのが「トヨタ」であり「SONY」といった日本製品のブランドだ。

アメリカ国内のドラマに出てくるテレビやパソコンはかつてそのほとんどが「SONY」だったが、いつの間にかすべて「SAMSUNG」に置き換わっている。アメリカ人の大衆が、日本ブランドよりも韓国ブランドのほうが安くて優れていると判断した結果だろう。ニューヨーク・タイムズスクエアの看板も、かつてのSONYの位置にはSAMSUNGが掛かっている。これが「ブランド」だ。ブランドは自分が大声で宣伝するものではない。長い間の多くの人の評価が作り上げるものだ。

今、日本には「地元ブランド」が溢れている。確かに地産地消に貢献するという意味ではそれなりの効果もあるかも知れない。しかし、だ。今、鎌倉山で売っているロールケーキは実は平塚で作っている。平塚で買えば1本700円のケーキが鎌倉山に行くと包装紙を変えて2,500円で売られている。果たしてこれがブランドなのだろうか。沖縄に行けば総生産量の何倍ものあぐー豚が消費されている。これをブランドと呼ぶのだろうか。

フランスなどには農産物の産地や製造方法などを厳しく定めたA.O.Cという法律がある。有名なところでは「シャンパン」はシャンパーニュ地方で作られたスパークリングワインだけが名乗ってよいとされたブランドだ(他にも製造時の温度や発酵時間、器具に至るまで細かい規定があるらしい)。「ナポレオン」はXOと並んで7年以上熟成されたコニャックにだけ付けることを許されたブランドだ。かつて日本の酒造メーカーが国産ブランデーに「VSOPナポレオン」という名前をつけてフランスから訴えられたことがある。そもそもVSOPは5年以上熟成されたコニャックにだけ許された名前である。とかく日本はこのあたりが無法地帯である。

その結果、いつのまにか価値のないスカスカな「ブランド」ばかりがはびこるようになる。意味もなく高いくせに価値がなかったりする。だからボクは国産・舶来を問わずあまりブランドというものを信用していない。
ただブランド品を持つことで満足できる人はたくさんいる。もっともボクが損をするわけではないのでブランドが大好きで高いものが大好きな人はそれを買えばいい。
そして、ブランド品の説明書きにしばしば書かれている説明。

「一つ一つ手作りで手間と時間を掛けて~」
「収穫量がとても少ない貴重な〇〇を使った~」

時間を掛けて手作りすれば必ず美味しいものになるのか?という疑問。少ししか獲れないものは必ず美味しいのか?という疑問。
ムダにかける経費。ムダに高くなる価格。日本のブランドの多くはこうしたトリックで出来上がっている。