遠勤

首都圏近郊に住んで都心の勤め先まで通勤しようと思えば、JR・各私鉄を使って割と簡単に通勤できる。ほとんど乗り換えもなく東京駅、新宿駅、池袋駅、品川駅、渋谷駅などのターミナル駅まで運んでくれる。ただし、そこにはラッシュアワーの超満員電車というオマケ付きだ。ボクが都内の勤め先に通い始めた時に住んでいたのは横浜市内・東横線沿線のアパートだった。当時は日本橋・茅場町に勤め先があり、中目黒から接続している日比谷線一本で通勤できた。その頃の日比谷線といえば、霞ヶ関駅での「地下鉄サリン事件」や中目黒駅での脱線死亡事故などもあって呪われた感もあったが、幸いどちらの事件にも巻き込まれることなく(電車は不通になったが)無事に過ごすことができた。

その後の転職に伴い、勤め先は中央線の市ヶ谷駅になった。横浜からは渋谷・新宿乗り換えで通勤時間は多少伸びたが、概ね1時間半ほどで通勤することができた。
しかしこの頃に運悪く仕事で、埼玉の上尾(JR高崎線)にある得意先に半常駐することになり、渋谷・池袋・大宮乗り換えで毎日の通勤は2時間以上になってしまった。もっとも家に帰れることなんて週に1~2日しかなく、ほとんどが上尾のホテル住まいだったので通勤の苦労もあまりなかった。
2年余りにわたって上尾生活が続いたが、再び都内の職場に戻ると職場の移転とやらで今度は五反田のビルに移ることになる。これはボクにとっては渡りに船で、市ヶ谷勤めよりも30分近く通勤時間が短縮されることになった。

こうなると人間、悪いことを考えるものだ。
当時のボクは週末ごとに伊豆半島に車でダイビングに行っていた。横浜から伊豆までは往復250km。有料道路代まで入れるとその交通費は5,000円にもなる。一方で、通勤の交通費というのは当然、会社持ちの通勤手当で支給される。通勤距離は伸びても自分の懐は痛まない。それなら通勤する距離を伸ばして遊びに行くときの距離を減らせば、月に2万円もお小遣いを節約できるわけだ。折しも通勤時間は市ヶ谷時代と比べて随分と短くなっている。
そこで考えた。横浜から伊豆方面に向かって、東京まで通勤できる限度の場所に転宅しよう、と。そこにはかつてボクが幼い頃に生まれ育った平塚があった。

そしてすぐに引っ越しを決めた。同僚や総務部長からは「そんなところから通勤するのは大変じゃないのか?」と訝しがられたが「自然あふれる湘南の方が住むには落ち着くんです」と言ってごまかした。そんな生活が10年も続いたある日、人事部長に呼び出された。「来月から赤羽の事業所に行ってくれ」。いきなりの”ほぼ埼玉”への異動だ。朝8時に赤羽のオフィスに着いているには5時過ぎには家を出なければならない。まだバスも走っていない時間である。片道3時間、往復6時間の通勤いや「痛勤」が決定した。ボクが平塚に住んでいることを知ってのイヤガラセにしか思えなかった。

しかしそこは日本のサラリーマンである。冗談じゃないよと思いつつも二つ返事で「かしこまりました」と言った。当時、東海道線と高崎線の直通運転はまだなかったが、湘南新宿ラインで新宿経由の平塚-赤羽直通があった。さて乗って2時間、毎日の行き帰りに何をしようか?

最初のうちは本を読んでみた。でも早朝の読書は30分で眠くなる。そこでスマホに英会話やスペイン語会話の教材を入れて電車の中で聴くことにした。これはかなり都合が良かった。途中で眠くなったら寝てしまえばいいのである。睡眠学習だ!しかしそのうちに英語やスペイン語を耳にするだけで眠くなってしまい、催眠学習なんじゃないかと思うようになった。ところがこれが意外に合っていたようで、今でもふとした拍子にスペイン語のフレーズが口を突いて出てくることがある。もっとも話せてもその意味がわからないので仕方ないのだが。
まぁ結局はそのほとんどを睡眠学習に費やした。

以前に大阪にマンスリーマンションを借りて半年ほど勤務したことがある。大阪・なんば、通称”ミナミ”のオフィスだった。同僚は奈良から通っていると言っていた。他のメンバーも地下鉄で2~3駅のところに住んでいた。通勤時間は10~20分くらいだと言う。当人たちは「20分もかかるんやでぇ」と言っていたが、ボクの東京の通勤は滋賀県の草津からなんばに通うようなものだと言ったら誰も信用しなかった。
大都会の大阪でさえこうなのだ。首都圏での通勤事情はたぶん暮らしたことのある人にしかわからない。「もうこれ以上は乗れません」というほどの超満員電車に1時間以上も揺られているなんて、他の地域の人に話しても誰も信じてくれないが、それは事実だ。
近郊に住んで都心に通う以上、今の東京では定年まで避けて通れない。ならどうする?

あなたはこの「痛勤」を人生にどう活かすのか。