やっていいこと悪いこと

このBLOGでは「万人受けするプロモーションはダメ」「”みんな”を相手にしたマーケティングはダメ」と言い続けてきた。
「何を売るか」ではなく「誰に売るか」を考えようと言い続けてきた。その考えは同じだ。誰にでも好かれようとすれば結局は誰にも好かれない。日本では誰にでも人気があるものに最初は行列するが、あっという間にブームは終わって閑古鳥が鳴く。
「自分はこれが得意だから」と商品化しても誰もそんなモノを求めていなければ売れない。ただの独りよがりだ。大手メーカーの開発部には少なからずこういう人がいる。「自分の強みを出すんだ!」と。強みを出すのはいい。ただ、それが求められるなら、だ。

ただ、やっていいことと悪いことがある。
今までは良くてもこれからはダメ、ということもある。以前は「煙草は心の日曜日」(日本専売公社)などといって煙草の広告を出していた。それがアメリカでタバコの広告が禁止されたのを皮切りに今ではEUでもWHOでもタバコの広告を禁止しWHO加盟の多くの国ではタバコの広告は禁止されている。日本は世界的に禁煙に関する後進国であり、一部の広告が制限されているに過ぎないが、テレビドラマや映画での喫煙シーンは自主規制によってほとんど見られなくなった。
逆に今まではダメだったけどこれからはいい、ということはたまにある。例えば「立って食べるのがお行儀です」などである。随分前にどこかの食品メーカーが「気軽に街中で食べよう」という雰囲気を出すために行ったテレビ広告だ。ボクが子供の頃は、食事中に立ち歩くことはお行儀の悪いことで厳に戒められたし、学校の帰りに買い食いをしても(買い食いも校則で禁止されていたが)店の前にはテーブルとベンチが用意されていることが多く、立ったまま食べる習慣はなかった。今や「食べ歩きは文化」だと言われ、全国の観光地などでも大いに推奨されるほどになった。

若い人の自動車離れが進んでいるという。最近では運転免許すら持っていない男子大学生も多いのだと聞く。ボクたちの学生時代には考えられなかったことだ。アノ頃、女の子にモテるための最低条件は「車を持っている」ことだったのだから。
男の子は速くてかっこいい自動車が好きだ、というのは40年前のスーパーカーブームの頃だ。あの頃に幼少期、思春期を過ごした男の子はほぼ全員がスポーツカーに憧れた。免許を取って違法改造車で暴走を繰り返して社会問題にもなった。スカイラインやレビン、トレノなどの速い車は無条件に売れた。「何人ともオレの前は走らせん」なんてセリフが流行った。当時のマンガに影響されて、首都高速をサーキットまがいに暴走する車が後を絶たなかった。制限速度なんてクソ食らえという時代だった。車のテレビCMではサーキットやワインディングロードを猛烈なスピードで走り抜けるスポーツカーが大写しになった。
でもその後、本物のスーパーカーを手に入れられた男の子はごく限られている。手に入れた男の子ももはや首都高速で暴走しようとは思わなくなった。ちょっとでも擦ったりしたら大損である。

今の子どもたちは、お父さんやお母さんはその代りに車に何を望んでいるのだろう?
家族?子供?進学?就職?習い事?サッカー?キャンプ?
少子化もあって今の子供は大切に保護され可愛がられている。子供が無理を言えば親はそれを全力で支援しようとする。子供が危ないことをする前に安全な枠の中に入れる。子供は危険から遠ざけるが、お父さんは頼りになる強くたくましい父親像を子供に見せようとする。それが親父の威厳だ、と思っている。だから車のテレビCMでもそこだけは強調する。

F1のモナコGPさながら、一般道のトンネルで子供が助手席でレーサーの真似をする。それを微笑ましく見つめる親戚の叔父さん。
満天の星空を見に行く約束をしていた夜。猛烈な嵐の中、ワインディングロードを疾走して山頂に向かう1台の車。

かなわない夢はない?

いや、そんな嵐の中、誰の助けも期待できない山の中へ無理して出掛けてはいけないのだ。やっていいことと悪いことがある。誰かに迷惑をかける様なことは厳に慎むべきで、それを教えるのが親の役割だ。自社の車を売らんがためにそんな演出を好んでやるメーカのやり方は間違っている。
さらに、よそ見をしても運転でも居眠り運転をしても追突しない自動ブレーキ。よそ見運転や居眠り運転は厳に戒められるべき行為であり違法行為でもある。いくら安全性を訴えるにしてもやり方を大きく間違えている。

正しい心のないところに正しいマーケティングはない。