「就職」は「就社」だ
「人生」は「営業」だ

来年の就活が始まったらしい。これから1年以上も先の目標を目指して頑張るのだから若い人にとっては気が遠くなるような話だろう。
そんな苦労をしてやっと第一志望の大企業に入社しても、30%もの新入社員が3ヶ月もしないで退社していくのだという。マスコミの言っていることだからどこまで本当なのかはわからないが、以前に勤めていた会社でも国立1期の大学院を出て就職してきた新入社員が、夏前に会社を去っていくのを見たときには正直「もったいないなぁ」と思った。もちろんその新入社員とはほとんど一緒に仕事をしたことはなかったし(そんな時間もなかった)その才能に”モッタイナイ”と思ったわけではない。才能を目にする時間もなかったのだから。しかしそれなりに時間と労力をかけて入社した会社だ。その時間と労力を”モッタイナイ”と思ったのだ。

その新入社員は大学・大学院と英文学を専攻してイギリス留学も経験しており、配属後の部内の懇親会でも「英会話は普通にできる」のだと言っていた。きっとそうなのだろう。でも当時のボクがいた部署では海外との取引はなかった。思いっきりドメスティックな環境で、古い日本のビジネス習慣が重視されるような職場だった。職場で英語を使う機会はまったくない。それでもその新入社員は「英語を仕事に活かしたい」と挨拶していた。
日本人のオトナなら誰でも分かっているが、日本の大企業というところには「就職」するのではない。「就社」し「就労」するのだ。
特定の”職種”に就くのではなく特定の”会社”に就く。”何でもいいから”労働機会を得て収入を確保することに他ならない。だからそこでどんな職種に就かされても、文句は言えない。文句を言えば「出世」の道が閉ざされる。ただでさえ出世の道は開かれておらず、多くの罠と陰謀をかいくぐったごく一部の人間だけがトップまで登れるヒエラルキーだ。
大学で遺伝子生物学の分野で秀でた研究を学んできた人が、仮に会社で経理部にまわされたとしても、だ。いや、経理がやる価値のない仕事だと言っているのではない。支出収入を仕訳して経営に活かすことは重要で非常に興味深い結果をもたらす。ただしそれを「やりたい」と思うかどうかだということだ。
しかし大学で学んできた遺伝子生物学をどこまで経理に活かせるかといえば、普通はごく限られた項目に限られてしまうだろう。

海外の就職事情はよく知らないが、基本的には職種ごとに求人があるのだという。だから職を求める人は、自分の得意な職種、自分のやりたい職種に対して応募して審査や面接を受ける。運よく仕事につければ、そこでは自分が応募した仕事をやる。能力がなければポイされ、別の仕事に回されることはない、らしい。だから就職さえできれば自分の望む職で働くことができる、らしい。だが「就職」するまでにある程度高度なスキルが求められる。そのために職業訓練校がありカレッジがある。それを除けば丁稚という下積み生活からスタートするやり方もある。ところが日本の教育は団体教育だ。全員が同じことを学び一般教養を身につけることが重視される。だから就職にしろ就社にしろ、仕事に就いた時に持っているスキルなど、ほとんどない。新入社員教育やその後のOJT(On the Job Traning)に中で仕事を覚えていく。

でも考えてみれば、サラリーマンになってから身に付いたスキルもほとんどない。強いて言えば、初対面の人とビビらずに話せるようになったことくらいだ。サラリーマンの中には「人脈がスキルだと」言う人がいるが、日本では人脈とは勤めている会社と肩書きに付くものであり、会社を辞めればただの人なのだと言うことに気付いていない。だから定年で会社を辞めると自分の周りから蜘蛛の子を散らすように”仲が良い”と思っていた人たちが去ってしまい、独りぼっちになった自分に絶望する人が大勢いる。

こんなBLOGを若い人が読んでいるとは思えないが、一言言わせてもらえるなら「就職(就社)とは自分をその会社に売り込むということである」。その会社の社長が役員が人事部長が「欲しい」と思う人材でなければ売れない。面接する方は最初から、応募してくる人に専門スキルがあるなんて思ってはいない。どれだけ素直に命令を聞いて問題を起こさず、我慢強く最後まで与えられた仕事をやり遂げられる人間かどうかが重要なのだ。ゆめゆめ面接で「自分の持つスキルを御社の仕事に役立てたいと思います」なんて言ってはいけない。相手は「それは心強い」なんて言うかも知れないが、そんなことはこれっぽっちも思ってはいない。
就職(就社)とはセールスである。相手が欲しがるものを与えなければ買ってはもらえない。「営業は苦手です」という学生さんもいるが、これからの人生はすべてが”営業”なのだ。好き嫌いを言っている場合ではない。
まずは自分という人間を売り込まなければ始まらない。