割り勘文化は何をもたらすのか

気のおけない友達数人と久しぶりに飲もうということになった。みんなの好みもバラバラなので、1つのお店に腰を落ち着けて飲むのではなく数軒のお店をハシゴしながらワイワイガヤガヤすることになった。最初の店は立ち飲みのイタリアン・バルだ。ジン・リッキーを頼むやつ、ビールを頼むやつ、グラスワインを頼むやつ、それぞれだ。つまみはチーズの盛り合わせやサラダ、プロシュートなどの軽めなタパスやピンチョス。
もうみんな若い頃のようにガツガツ食べられなくなってきたので、最初の店ではこのあたりが妥当な選択だろう。

しばらくの間、自分の近況や仕事の話などしていたが、ひとしきり話題が一巡したので河岸を変えようということになった。会計すると全部で8,500円。メンバーは4人なので割り勘すると一人当たり2,125円だ。全員が自分の分を財布から出してテーブルに並べる。誰かがまとめて会計をして店を出た。

次に入った店は立ち食いの焼き鳥屋。メンバーのヤマモトの行きつけの店だという。それぞれに好きな串を注文するとカウンターの中では愛想のいいマスターが手際よく焼き始めた。しばらくすると次々に串が焼きあがってくる。モモもネギマも美味いが何と言ってもつくねが美味い。絶妙な焼き加減が香ばしさとジューシーな肉のハーモニーを醸し出している。焼酎のお湯割をぐっと煽ると喉の奥から鼻に胃袋にえも言われぬ味と香りが広がる。ヤマモトもいい店を知っているものだ。聞けば彼は夜ごと職場の近くの小さな店を巡りここを見つけたのだという。そこで他のメンバーが「じゃあ俺の取って置きを…」というので次の店に移動することにした。ここでの会計は全部で9,000円だ。割り勘にして2,250円ずつを出すことになったが、アダチが「細かいのがないから」と3,000円を出した。そこでアダチがとりまとめになって会計し、お釣りをもらうことになった。

3軒目は屋台のおでん屋だった。屋台のおでんなんて久しぶりだ。小さな屋台の暖簾をくぐるとカウンターには3〜4人の先客がいた。中には入りきれないので、屋台のオヤジが外にビールケースを並べて急ごしらえのテーブルを用意してくれた。カップの日本酒の熱燗とおでんで、またそれぞれの話に華が咲く。大根とさつま揚げ、玉子をもらって頬張る。何だかサラリーマンの悲哀みたいなものも感じられてみんなで仕事の愚痴を言い合った。
そろそろいい時間になったのでこのあたりでお開きにすることにした。ここでは全部で7,500円だった。酔いも回って計算も面倒くさくなったので一人2,000円ずつ出して、お釣りはオヤジへのチップにすることにした。
また近々飲もうということにしてそれぞれが家路についた。

今夜の飲み会では全部の店で割り勘にして全員が均等払いにした。学生の頃なら「俺はそんなに食べてない」などと文句を言う奴もいただろうが、皆んなが社会人になった今、そんな細かいことを言う奴もいない。
飲み歩きが盛んなスペインやイタリアには「割り勘」という習慣がないらしい。飲み歩く中で「この店はオレが(払う)」「じゃあこの店では私が」というように店ごとに持ち回りで払うことが多いそうだ。
たしかに同じような面子でしょっちゅう飲み歩いていれば、長い目で見れば払う金額も同じようになるのだろう。

一軒のお店では全部の支払いを自分で、それ以外のお店では他の誰かが持ち回りで全額を奢る。そうすると自分が払うのは一軒だけ。あとは全部誰かに奢ってもらうことになる。もちろん支払う金額は割り勘の時の総額とあまり変わらない。でも自分の財布を出すのは1回だけだ。
この話を聞いたときに「それはいいかも知れない」と思った。支払う額は同じでも自分の財布から現金が出ていく回数が少ないと得した気分になるような気がしたからだ。それにいちいち計算して割り勘する手間もない。
「俺は会計が高い店で払って損した」などと言う人間とはもう飲まなければいい。人間の見極めもついて一石二鳥というわけだ。

そして「立ち飲み」もいい。昔は立ち飲みといえば、酒屋の中の薄暗い一角に酔っ払いのオヤジどもが缶詰やチーカマなんかを持ち込んで昼から飲んでいるという陰気なイメージだったが、最近は目黒あたりでもお洒落な立ち飲みバルなどが出来ている。立ち飲みは文字通り立って飲むので、酔っ払ってくればすぐにわかる。以前、立ち飲み中に突然崩れ落ちるように座り込んでそのまま寝てしまったやつもいたが、普通は適度に飲めて深酒もしないで済むので重宝だ。ボクは”終電前に閉店になる店”と”立ち飲み”は「タイマー付きの店」と呼んでいた。強制的に終了されるところが安心なのである。

「無礼講」と言う言葉がある。元は無・礼講だったのだという。礼講とは礼に従って神様の前で酒をくみ交わす儀式なのだそうだ。その儀式が終わって礼に従わずに酒を飲むことを無礼講と言ったのだそうだ。決して無礼なことをしてもいいということではなかったらしい。それがいつしか無礼・講となり、遠慮なく意見を言い合うことをそう呼ぶようになったのだという。

日本人は遺伝的に酒に弱い。一方で西洋人はアルコールと寒さには滅法強い。どうやら遺伝子が関係しているらしいので努力でどうなるものでもないらしい。
日本の宴会では、江戸時代から前後不覚になるまで飲むのが普通だったらしい。ベロベロに酔っ払ってその人の本性を見極める目的もあったのかも知れない。ところが一般的に酒に強い西洋人は、人前で前後不覚になるまで飲むことを潔しとしない(意見には個人差があります)。
酒の飲み方一つにも文化によって色々な違いがあるのはとても興味深い。