1000本ノック

ボクが小学生の時に合唱団にいたという話は以前にしたと思う。合唱団といっても合唱好きのクスノキ先生のクラスにいたので(ほぼ)強制的に毎日歌わされていただけだ。当時は小学3年生で取り立てて音楽も好きなわけではなかったので楽譜も読めなかった。田舎の学校だったので、ピアノを習っている女の子以外は他の皆も同じようなものだったと思う。
新しい曲を始めるときには、先生がオルガンで旋律を弾いた後に続いて声を出して歌うという、いわゆる「耳コピ」だった。最初のうちは2部合唱だったものがしばらくして3部合唱になった。他のクラスからも希望者を募って(信じられないことだが参加する子もいた)学年を巻き込んだ合唱隊になる頃には4部合唱もやるようになった。

合唱にはパートがある。ソプラノ、アルト、テノール、バリトンなどだ。当時のボクがどこのパートにいたのかは今となってはよく覚えていない。確かテノールやアルト辺りをウロチョロしていたような気がする。テノールやアルトというパートが主旋律になることは少ない。何十曲も練習したが主旋律を歌った記憶はほとんどない。1曲の中でたまに4小節出てくる程度だ。それ以外は副旋律、いわゆる裏メロである。しかもポップスの裏メロのようにメロディになっていることは少ないので、パート練習のときなどは知らない人が聴いたら何の曲かすらわからない。しかしこの旋律を頭のなかに叩き込んでおかないと隣のソプラノパートの旋律に引き込まれてしまうわけだ。

合唱は外から聴くと主旋律と副旋律が複雑に絡み合って得も言われぬメロディになるが、中に入って歌っているとパート同士のせめぎ合いで和音の妙などまったく感じられない。隣のパートの音を聴きつつも釣られないように頑張るのが精一杯なのだ。

学校で和音の理屈を習ったのは高校生になってからだ。高校の音楽の時間に声楽が大好きだった先生が「理屈がわからないから音楽がつまらないんだ」といってコードの成り立ちの基本を教えてくれた。ご存じの方も多いと思うが、和音にはルートの音があってそれに3度、5度、7度などの音を加えて出来ている。3度の音を長3度(半音が含まれない)にするか半音低い短3度(半音を含む)にするかでメジャーコード(長調)になったりマイナーコード(短調)になったりする。この辺は果てしなく複雑なので詳しく知りたい方はそのテの本を御覧いただきたい。

ボクは高校生になってビートルズやオフコースなどのコピーバンドをやっていた。バンドではボーカル担当のメンバーもいたがコーラスを加えたいということで他のメンバーも楽器を弾きながら副旋律を歌うことになった。再び合唱団の悪夢が再来するような気もしたが、歌ってみるとメインボーカルの声に副旋律の自分の声が乗っかるとハーモニーになってとても気持ちがイイことがわかった。その陰には初めて理論的に習ったコードの成り立ちの知識が大きく影響していたのだと思う。そして主旋律を聴けばある程度はアドリブでもコーラスを付けられるようになった。

スポーツでも似たようなところがあるように思う。もっともボクは生まれながらの運動音痴でロクにスポーツもしたことがないので偉そうなことは言えないが、草野球でも最初はキャッチボールや素振りをして基本的な身体の動かし方を覚える。ちょっとできるようになったらノックを受けたり投球練習などでスキルを磨くだろう。素振りや打撃練習、走塁の練習もやってみる。そういったトレーニングをすることでますます身体の使い方にも磨きがかかって上手になるはずだ。

でもここまではひたすら体を動かすだけのトレーニングで、理論は習わない。1000本ノックを受けてひたすら身体の反応を高めることが目的だ。少しでもうまくやるためのコツくらいは意識するが”理論”とは無縁である。
ある程度まではこのことが大切だが、この頃から少しずつ理論を勉強していくことで自分が今やっていることの意味づけが分かればモチベーションが高まりやるべき方向が見えてくるような気がする。

スキーでも何でもそうだが、最初は転ばないように滑ることだけを考える。そのうちに少しでもカッコよく滑りたくなってひたすら上手な人の真似をする。そのうちに「頑張ってもそれ以上には上手くならない」時が来る。
しかしそこには先人たちが経験して手に入れた技術が理論的に整理されて用意されていたりする。ちょっと古いがスキーなら「外向傾」などといわれて「身体はターンの側に鉛直線上にけて投げ出すようにける」ことによって遠心力に負けず斜面の角度にも対応する姿勢が出来上がる、などということが言われていた時代もあった。なぜ上手い人は、誰が見ても上手いのかを力学の理論で説明していた。

気合だけの練習でもある程度までは伸びる。しかし理論が分かったほうがもっと伸びて技術は成熟していく。日が暮れるまでがむしゃらにノックを受けるのもいいが、どうしたらもっと上手くなれるのかを考えることでもう一段階上の景色を見ることができるかもしれない。

小学生の頃に少しでもハーモニーの理屈がわかっていたら、つまらなかった合唱をもっと楽しめたのではないかと思うとちょっと残念な気持ちにもなるのだ。